2018.10.1(MON)
@Shibuya TSUTAYA O-nest
OPEN: 18:00 / START: 19:00

Official Report

音楽×映像×アートが織り成す揺籃の場

[Report] 写真:fukumaru(fukuda manami)/ 文: 石川優太
[Live Video] 撮影: 河合宏樹、瀬川功仁 / 編集: 河合宏樹 / 録音・MIX: 田本雅浩 (TOKYO LOGIC)


10月1日、東京都渋谷区のライブハウス・渋谷O-nestにて、開催されたライブイベント<mights>。“クリエイターが交差する”と題された本イベントは、betcover!!、時速36km、No Busesによるライブに加え、表参道ROCKETのキュレーションによって集うアーティストらによるポップアップショップが出店された。参加クリエイターは黒川ナイス、Kei Nojima、中村健太、中村桃子、norahi、ベイブひかり、homemaderadioclubの計7名。

言わば、ものづくりに所縁のあるクリエイターたちの祭典だ。

近年の音楽やファッション、映像やイラストレーションなどのカルチャーは、それぞれが強く結びつき、作用し合う関係にある。ことインターネットにおいては、その結びつきにより当人らの予想を上回る反響を呼ぶこともあるだろう。例えばそれは、音楽×映像によるもの、イラスト×ファッションによるものなど様々。ここ数年は特に、そういった光景を目の当たりにする機会が増えたはずだ。

誰しもがそんなチャンスを秘めている。その期待感を“mights(かもしれない)”という言葉に投影し、それぞれが作用しあう様子やシーンを演出することを目的としたイベントが、<mights>である。また、当イベントは様々な個性を持つクリエイターのなかでも共通するメンタリティとして「自我の強さ」に着目している。一つのシーンにフォーカスするよりも、それぞれが目指す道を歩むことを尊重し、自分の言葉を持って活動するクリエイターの交差点としてこの場を設けた。実験的で挑戦的なこの場所で、何かが変わる“かもしれない”。そんな期待が込められていた。

開演と同時に、多くのクリエイターとその関係者が入場。入り口に隣接するアートポップブースでは、ライブ開始までの時間を利用して、グッズを求める人、名刺交換をする人、数年ぶりの再開を喜ぶ人など、目的様々な人々が集う。

テーブルに並べられたグッズを手に取り、クリエイターと挨拶を交わしたり、Instagramのアカウントでフォローし合ったり、自画像を描いてもらったり、いろいろな光景を目にした。何かが変わる出会いはあったのだろうか。

会場から30分。リング裏となるライブブースでは、映像作家・吉岡美樹による映像が垂れ幕に映し出された。音楽を愛するリスナーと、音楽を愛するアーティストたちが繋がるための準備は万端だ。




ポップスカルチャーの再構築を夢みる音楽家

現代の10代にとって、J-POPはもはやエンターテインメントでしかない。動画サイトを開けば一目瞭然だ。

1999年に生まれたヤナセジロウという青年は、早くして「文化衰退の時代」を察した。彼が幼い頃から好んで聴いた音楽は、ポップスの原点となるブラックミュージックやモータウンだったそうだ。それからは、フィッシュマンズ、スガシカオ、山下達郎を好んだ。大好きな音楽が「オールドスクール」と称される現代の空気感に嫌気がさした。

音楽の明るい未来をつくり上げてきたマイケル・ジャクソンも、デヴィッド・ボウイも、モーリス・ホワイトも、忌野清志郎も、佐藤伸治も、既にこの世にいない。もう、この社会のムードはどうしようもない。何度も諦めた。けど、諦めたくなかった。

そんな彼が、betcover!!として掲げた野望がある。ムーブメントとしての「ポップスの再生」だ。

一曲目は、未発表曲の“ジャングル”。「日本語ロック」の系譜を本流とした静謐なギターサウンド、飄々とした詩、不可侵な聖域たるサウンドと歌声に、会場は陶酔しきっていた。スネアにあわせ横に揺れる人、小さく片足を揺らす人、空っぽのカップに何度口をつけてしまう人、それぞれの愉しみ方で、音楽を謳歌していた。

一言で挨拶を済ませ、ダンスロック・ナンバー“新しい家”、立て続けに、ギターのクリーンサウンドのみで歌う“ダンスの惑星”を披露する。一見ハッピーな空間ではあったものの、彼の歌う曲は「諦め」や「虚無」を表していた。彼の目に、お客さんは写っていたのだろうか。<ただ泣きわめく/僕の声も聞かずに>という、自分の殻にこもりがちな現代の若者に向けられた言葉を投げかけるものの、そこに若者の姿はない。<もう人も居ない>のか。彼の叫びは、どれだけの大人に届いたのだろうか。

彼の音楽は、まだまだ新しくなれると感じた。特にポップスは今を生きる人々のものであり、だからこそ時代によってスタイルが変化してゆくもの。そして役割を果たせば、再構築されてゆくもの。そう思わされた。そんな彼の意思を<世界の気持ち>として歌う“平和の大使”は、自問自答を「平和」という大きなテーマを掲げ、ポップスとして昇華している。まさに、「ポップスの再構築」にふさわしい一曲だ。

最後は、ブラックミュージック由来のアーバンな感覚を帯びた“セブンティーン”。10代目線の不安定さで包まれた一曲が、彼が<まだ>10代であることを再認識させる。全てのセットリストを終えると、彼らは足早にステージを降りた。ライブ中、一度もMCはなかった。これは音楽を心底愛する、彼なりの「音楽だけを愉しんで欲しい」という意思表示だったはずだ。

彼は「末恐ろしい」という言葉が嫌いだそうだ。だが、きっとその言葉には、ヤナセジロウに向けた大きな期待が込められているのだろう。




生き様が鳴るバンド

大好きだったバンドが有名になった途端、音楽が、表現が、ショー・ビジネスを優先するようになった。そうしなかったバンドは、ゆっくりと表舞台から姿を消す。2016年12月、武蔵大学のサークル内で結成した4人組バンド・時速36kmは、おそらく、<そうしないバンド>である。

時速36kmという名称は、Dr/Cho・松本ヒデアキの思いつきから命名されたものだという。<100mを10秒で走る速度>そのものを冠した疾走感のあるメロディ、Vo/Gt・仲川慎之介の慟哭のように壮麗な歌声が特徴だ。

現代の「音楽好き」は大きくポップス派とロック派に分かれている。そう考えると彼らは先述のbetcover!!とは対極に位置する存在となる。嫌な言い方だが、ポップスで温まり空間を音楽の力のみで変える、彼らの真価を示す舞台でもあった。嘘偽りのない独自の音楽観をぶら下げ、彼らはステージに姿を現す。ライブは、<俺らが残した/迂遠や旋律が誰かを打ち砕いて仕舞えばいい>と歌う未発表曲“羅生門”から始まる。彼らが決意した勇気は、清々しいほどに音楽を愛する思想を抱えながら、<見えるもの全てが/全速力で後ろに流れていく>という活動スタンスだった。

決意表明に続く“七月七日通り”、お客さんの表情は分かりやすく変わる。間違いなく彼らの看板となる一曲なだけに、会場が一瞬でホームグラウンドと化したのが見て取れた。それにしても、<三三七拍子/ランダムのフリして予定調和を辿ってる><嘘くさいラブソング/リアルっぽいプロテストソング>というワーディングセンスは(良い意味で)どうかしてる。メジャーシーンを揶揄する側面を持たせつつ、素直な「時速らしさ」として昇華する様は、聴いていて本当に心地が良い。その上、グッと胸倉を掴むようなパワーがある。

彼らの音楽には<退屈/淋しさ/諦め>といったワードがふんだんに詰め込まれており、ある種の「当たり前の日々への絶望感」を表す側面がある。初見のリスナーであろうと、ふと情景が浮かんでしまうようなテーマだ。それを「共感」と言ってしまうと安易に聞こえてしまうが、“リーク”、“ジンライム”、“ウルトラマリン”、“クソッタレ共に愛を”といった荘厳な楽曲を固め、時速ワールドを拡大する。

あまりにも強固な共犯関係が結ばれたところで披露したオルタナ・ナンバー“夢を見ている”。仲川が命を削るように歌う<夢は砕ける前が一番綺麗なはずだろう>という一節が、ズルい。辞めるな、諦めるな、まだ頑張れるから、などと無責任な感情が湧き上がる。フィナーレに向かうライブを名残惜しむ間もなく<どんなになっても俺は俺のままだぜ/良し悪しの向こう側で会えたらまた会おうぜ>と歌う“スーパーソニック”。仲川の掠れた声が会場に響きわたる頃には、リスナーとの間には絶大な信頼関係が生まれていたように思う。




サラリと時代を牽引するバンド

大学の講義のため本番に直接駆けつける形となったNo Buses。そこで彼らが現役大学生であることを知った。だからといって、斜めに構えてしまったのは間違いだった。

彼らの音楽は、UKロックバンドの系譜にある。(極端だが)エモバンドの系譜にある時速36kmがつくりあげた感傷的な空間をどう変えてくるのだろう。お気付きの人もいると思うが、バンド名のNo BusesはArcitc Monkeys(以下、アクモン)の1stAL『Who the Fuck Are Arctic Monkeys?』収録曲に冠している。それゆえか、彼らの楽曲はガレージ・ロックさながらのシンプルなコード進行、1曲2分少々の浮き沈みのない構成が特徴的だ(初期アクモンや初期ザ・ストロークスの影響を色濃く感じる、というと分かりやすいかもしれない)。

彼らを知ったのはYouTubeのおすすめに出てきた“Tic”を観たことがきっかけだった。荒削りながらも唯一無二の存在感を放ち、耳馴染みの良いグルーブ感に心を掴まれ、何度もリピートした。

「敬愛するガレージ・ロックのような愛おしい曲がつくりたい」とどこか気怠げに話すVo/Gtの近藤。軽いリハを終え、近藤の「やります」という掛け声とともに、“Girl”、“ Medicine”、“ Slowday”を立て続けに演奏する。ここまで聴いて分かったのは、ライブハウスで培ってきた彼らの地力の高さ。動画で聴いた音源の何倍ものスケール感で音を鳴らしながら、日本人らしい解釈でUKロックを体現する姿勢が気持ち良い(テクニックは言わずもがな)。だからか、言葉数少ない彼らのスタイルはいたって堂々としているのだ。その様を表すなら、「大胆不敵」という言葉がしっくりくる。



途中、近藤によるMCを挟んだものの、(口下手なのか)次回のライブ告知を数秒で終えるとしばらく黙り込んだと思いきや、「今日は体育(の授業)があったから疲れている」という謎の心境を語ると、“Cut My Nails”、“Boring Thing”、“Swim ”、“Tic”、“Trying Trying”を立て続けに披露した。その間、ヒットナンバー“Tic”でさえも曲名を名乗ることはなかったが、その潔さがカッコよかった。淡々と演奏した後、「あと2曲だけやって帰ります」と告げ“Asleep”“ Rat”へ。客席からは、終わりを惜しむ声が上がっていた。

本日彼らが披露した楽曲のほとんどは、音源化がされていなかったりYouTubeなどでも公開されていないものだったが、それゆえに集中して耳を傾けているリスナーの姿も印象的だった。あくまで彼らは終始堂々と、淡々と、頭ではなく体に馴染む音楽を鳴らしていた。リスナーを楽しませながら、さらりとアイデンティティを貫くバンド、No buses。ますますの飛躍を期待したい。

というわけで、約2時間のライブステージは閉幕。各バンドの演奏時間は約40分(体感時間は20分程度とあっという間だった)。それぞれのアーティストが抱える「言葉」を受け止めるには十分すぎる時間だった。バンドとしても、リスナーとしても、大満足のライブだったはずだ。

良い悪いという話ではないが、こうやってクリエイターたちが音楽を、言葉を、時間をかけてしっかりとした手段で届ける舞台は最高だと思う。それはバンドも、映像作家も、芸術家も同じだ。人と人が理解しあうためには、対話と時間が必要だとされるように、クリエイターとお客さんの間にも同じものが必要なのだから。

そう考えると、自分の言葉を持ったクリエイターたちが本気を出す場所として、異なるジャンルのクリエイターが交わる揺籃(ようらん)の場として、このイベントはなくてはならないものだと感じた。次回は、このイベントの革新が確信される場として、さらに大きな意味を持つのではないだろうか。



SET LIST
◼︎betcover!!

1. ジャングル
2. 新しい家
3. ダンスの惑星(弾き語り)
4. young berry song
5. ゆめみちゃった
6. 平和の大使
7. セブンティーン

◼︎時速36km
1. 羅生門
2. 七月七日通り
3. リーク
 MC
4. ジンライム
 MC
5. ウルトラマリン
6. クソッタレ共に愛を
7. 夢を見ている
8. スーパーソニック

◼︎No Buses
1. Girl
2. Medicine
3. Slowday
 MC
4. Cut My Nails
5. Boring Thing
6. Swim
7. Tic
8. Trying Trying
 MC
9. Asleep
10. Rat